麻里ちゃんの絵は、

もっとこういう画材を使えば生きると思う。

こんな素材をマテリアルにすれば

もっと深みが出るよ。

額装の際のマットの選び方、

キャンバス地の目の選び方。

二年半前に

初めて開催した表参道の個展に来た叔母が、

押し付けがましくなく、

絵を教えるわけでもなく、

いかに私の絵のタッチを生かすか。

私らしさを生かすか。

という視点で

アドバイスをくれた。

毎週届く、絵の説明の

長い長い手紙。

なぜなら

今時、

メールはおろか

携帯電話さえ持ってない叔母。

仕事も今時ファックスでやり取りして

いるというからびっくりする。

でも手紙ってすごく温かくて、

メールに添付される資料の

足元にも及ばない。

手書きのそれは

はるかに

心に届くし

ボロボロになるまで

何度も何度も見直し、

手紙を持ってせっせと

何回画材屋へ通っただろう。

叔母の家に遊びにいくと、

何時間も何時間も、

絵の話をする。

どんな画家がどんな絵を描いていたか、

画家の叔母は本当に詳しくて、

また旦那さんも画家でもある

パースデザイナーで、

二人して、私の絵について

いろんなアドバイスをくれる。

先日、とあるレセプションで

同じアーティストとしておこがましくも

パーティーに参加した。

叔母は本当に嬉しそうに

私の姪の麻里ちゃん。

といろんな方に紹介してくれた。

本当に、嬉しそうに。

 

牧野鈴子。

私は、小さい時から、

彼女に憧れていた。

若い時から

やなせたかしさんに

その才能を見出され

どんどん世界に飛び回るようになった

叔母は、

それでも

若い頃東京で、

とても苦しんでいた。

画家で食べていけず、

アルバイトを何件も

重ねながらそれでも

描いていた。

毎日寝ないで描いていて、

よく東京から泣きながら

電話があったと、

熊本の祖母が話していたのを

私は子供ながらに、

記憶している。

どこかで私は、

彼女を目標にしていたかもしれない。

画家でということではなく

生き方として。

どんなに

大変でも、

ただただ、好きだというだけで

芸術に没頭し、

誰が何を言おうと

自分の信じる道を貫く強さ。

熊本から東京へ出ていくだけでも

大変な冒険だった時代。

叔母はそのあと、パリにイタリアにドイツにと

飛び回っていく。

好きな絵を極めるために

結婚も望まない。

動物が大好きなので

犬とずっと暮らしていく。

と言いながら、

偶然に偶然が重なって

バッタリ東京で再会したという

学生時代の

友人の叔父と晩婚ながら

結婚したのも、

実にドラマチックだった。

(今は夫婦➕ワンコ人家族です)

割と複雑な家庭環境で育った

私には、叔母は希望であり、

目標でもあった。

ひょっとして

こんなに近くに憧れの

ロールモデルがいたってことは

私は最高に幸せラッキーなのではないかと

思ったりする。

コピーライターになるために

ガムシャラに頑張ってた時も

いつも目の前に目標の

コピーライターがいて、

背中を追いかけた。

絵とそして

生き方においては、

叔母の背中を追い続けた。

人って、そうこうして

成長していくものなのかもしれない。

少なくとも私は、

目指すもの

憧れる人がいたら

そこへ一直線に、

向かう。

先日の

ニューヨークの作品を見て、

滅多に褒めない

叔母の旦那さんが、

まりちゃん、絵が成長したなあ。

これから楽しみだね。

と言ってくれたらしい。

これ、今年の嬉しかったこと

ランキングの

上位に入る。

まだまだ

叔母の足元にも及ばず

山であれば3合目くらいを

必死で登っている私ですが、

いつか

半分まできたぞーと

言えるようになりたい。

頂上まで行くのは

来世でも構わない。

だから

今日も、

何かしら描く。

コツコツと。