ずっと広告の仕事をやってきた。
コピーを基本に、
ラジオCM、
テレビCM、
キャンペーン構築、
web施作、
ブランド構築。
長いことやっているから
100本以上のCMにも携わったし
ラジオCMもドラマのシナリオもやったし
キャッチコピーはもはや
どれだけ世の中に出したか
覚えてもいない。
広告が大好きで
コピーを愛していて
もうこのままずっと
この広告人生だけで
行くのだろうと思ってた。
しかし。
6年前にカンヌはじめ
海外広告賞をスパルタ的に
目指していた時期に、
価値観が変わる時期が
訪れた。
海外賞に深く関わると
あー
海外では
こんなことが日本の文化って
思われるんだ
あー
この国では
ここがウケるのね。
とあくまでも海外賞としての
スパルタ特訓だったのに
いつのまにかどこかで
あ、
わたしも海外で
「自分」を表現してみたいと思いはじめ
自然に、
昔描いてた絵を描きはじめた。
ずっと広告どっぷりの人生だったので
絵を描き出したブランクがあり
最初は思うようには描けなかったけど
(手で描くのは昔から)
広告と違って
アートの表現は、
自分の思いや
自分というアイデンティティを
いかに絵に投影できるか
が問われるので
毎日毎日、描いた。
広告の仕事は
なにせハードなので
もともと睡眠時間も集中力も
捧げないといけない仕事なのに
やりだしたら
とにかく没頭する私には
苦ではなく
睡眠時間はほぼ二時間で
毎日休むことなく描き出した
毎日毎日。
でも、楽しくて
さらに
海外賞で培った(少し)
海外への発信も
ここでおさらいできるし
タイミングがとても合致していた。
もともと
ブランドをつくってきた
広告屋なので、
自分の絵という商品を
売るキャンペーンのローンチ
だと思えば
まさに一人代理店。
日本の狭いしがらみが強い
絵の世界でゴチャゴチャかしこまるよりは
自由な自由な世界で
どーんとアートを発信できることが
本当に楽しい。
でも肝心の商品がよくないと
どんな発信もできない。
だから結果
自分の絵を高めることだけに
集中することになる。
そして
それは
うまくなる方法とかはなくて
とにかく
しのごのいわず
くる日も
くる日も
描くこと。
一枚でもいい
一本の線でもいい
とにかく
描くこと
これしかないことに、気づく。
広告のハードな仕事と
アーティスト活動と英語
体は大丈夫ですか
って聞かれるけど
むしろバランスをとっている。
すこぶる大丈夫。
広告はやはり、
右脳といいながら左脳が
大きい仕事だから。
クライアントありきの仕事で
自分を表現するものではない。
かつて
自分を表現することだ、と
勘違いしてしまっていた
若かりし頃はある
(これは多かれ少なかれ
誰でも広告つくるなら経験してる、と思う)
自分というフィルターを通して
クライアントがいうべきことを
しっかり伝える、のが仕事。
絵は違う。
自分の伝えたいこと
自分の生き様を
とにかく力を振り絞って伝えること。
それに共鳴してくれた人が
私の絵が好きだ、と言ってくれる。
絵には人生が投影される。
正直私は
こう見えて
波乱万丈の人生を
笑いながら超えてきたから
絶望を超えた
強い魂が、
絵に宿るのではないか、
と思うことがある。
あとは、
人への愛が深いから
それが込められているといいな、とも。
結局
わたしは
大好きな広告で
企業のことを一生懸命考えるのも
絵で自分のメッセージを
海外に発信するのも
どちらも
やめられない、
ということに落ち着いている
そして
その成長には
終わりがないってことも。
終わるとしたら
死ぬ時でしょうか。
で、
今、
物理的に
頑張らねばならないのは
英語で、
これはもう
好きとか嫌いとか
言ってられないのです。
広告、とアート(と、英語)
少なくとも
人生の目の前には
今のところ
これしかない。