昨日、一年ぶりの
ニューヨークに到着した。

コロナ前の
ニューヨークとは
全く違う世界が
そこにはあった。


そういえば
このサイトでの
ブログも
コロナ前から
しばらく時間が空いていることに
ふと気づく。

コロナ直前、
私はロンドン・イタリアで
壁画を描いていた。

にわかに
コロナウイルスが
騒がれはじめ、
早くも水際対策がはじまった
ヨーロッパで

アジア人差別を
痛感しながら帰国した2月。
(石を投げられたりしたので)

帰国した日本は
まだオリンピックを
やるつもりで
何ひとつコロナのニュースを
流していなかった。

3月
NY ART EXPO
を4月に控え
まだニューヨークに行く予定
だった私、

あっという間に
コロナはアメリカに広がり
街はロックダウンした。

もちろんEXPOは延期、
5月のカンヌ映画祭のビエンナーレも延期。
挫折感を感じて
落ち込んでいた春。

コロナで
世界が変わってしまった。

あれから8ヶ月。

日本は世界に比べたら
ロックダウンは比じゃない。
感染者も
他国と比べたら
まだまだ足元にも及ばない数。

その間
私は
珍しく日本に半年以上
滞在することになり、
日本でやれることに集中。

家の引越しをし
6月には福岡でのアートショウを開催し
数々のトークショウ、
zoomでのトークショウ、
8月には岡崎の龍城神社での
ライブペイントも開催。

あ、黄色い赤ちゃんもやってきた。
(突然入院し生死を彷徨ったけども)

日本にいるからこその
アッシュペーフランスさんとの
コラボの案件や

新しくきた
私のコンテンツの
案件など

2021に向けての
新しいことが続々と決まっていった。

9月に
さすがにこれはソロショウは無理かもな、
とニューヨークのソロショウについて
ギャラリーに打診。

するとオーナーのMONSEも
ギャラリストのIRMAも

MARIのショウは
必ず10月にやる、と。
断固として動かない意思を聞いた。

EMSが動いていない
入国できるかも
怪しい
そのタイミングで
やれるのかと
なんども悩んだけれど

結果

GOを決意し
NY入りした。

ニュースで見ていた
変わり果てたニューヨークの街は

やはり生の肌感でないと
本当のところは
理解できないなと
つくづく思う。

コロナで死んだ
アーティスト友人もいるので
こみあげるものがある。
正直、少し泣いた。

かつて毎朝通った7thの
platsカフェは
なくなっていた

あの仲良しのおねーさんは
今どこにいるのだろう

他にも
あの店も
あの店も・・・

潰れていた。

前回まで泊まったアパートも
難しくなり

今回は
新しいアパートだけど
向かいのアパートは
ほとんど人がいない。
明かりがない。
聞いたところによると
マンハッタンの家賃が払えず
郊外に越した人が多くて
アパートは
かなり空いているという。

ホームレスの数も
とても増えている。

変わり果てた街がここにある。

マスクなんておよそ
したことがなかっただろう
アメリカ人が
様々なマスクをちゃんと
つけている。

こんな時にアートショウなんて
という
人もいるだろう。
治安も悪いのに
コロナも怖いのに
と。

私は
ギャラリーが
GOでなければ
こなかった。
でも

ギャラリーの2人は
やる!
と決めたのだ。

このショウをはじまりに
どんどん明るさを取り戻したい
という二人の声に応えた。

最初のニューヨークソロショウを
開催した
2017年からずっと
家族のような
イルマとモンセ。
なんども助けられた。
イルマとは姉妹のように
よくメールをしあっている。

その声応えたい。

だから、
やる。
と決めた。

このニューヨークで
何かがあっても
それはそれで
私の自己責任だ。

その覚悟はできている。

ただ

やるなら
とても素晴らしい
アートショウを
開催して
帰りたい。
誰かを
元気にする
そんなパワーを届けたい。

アーティスト仲間の
Randyとも
スタジオでの
共同制作を約束している。

これが終われば11月。
すでにいくつか決まってる
日本のイベントと
12月の表参道アートショウ。

ちなみに
私は「WITH」コロナとか
コロナ明けのなんとかとか
コロナをつけた言葉が大嫌いだ。

2020はコロナと共に歩んだ。

そして
2021は決別する気持ちで
今年を過ごしていきたいと思う。